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最近は、デジカメのテスト撮影ばかりやっています。

伊藤計劃『虐殺器官』

遅ればせながら、伊藤計劃の『虐殺器官』を読みました。

う〜ん……。残念ながら、あまり楽しめませんでした。

内容の面白い/面白くない以前に、作者が使っている文体や語彙に対して、ウィリアム・ギブスンの「スプロール三部作*1 」の影響が感じられ、鼻についてしまったのがその理由です。

これが例えばジャンルの被り、すなわち「ルビを多用した、ハードボイルドなSF小説」、あるいは「SF設定/世界観を微に入り細に入り説明したがる語り口」、といった類似ならば許容可能なのですが、作品内に使われている語句、言い回しの端々にギブスン(と翻訳の黒丸尚)の強い匂い*2 を感じてしまうのです。これには閉口しました。曰く、

  • 「(死体の口元の表現として)まるでなにか言い残したことがあるとでもいうように」
  • 「トリヴィア*3
  • 「(「somebody」の日本語表現としての)誰かさん」
  • 「脳漿(のうしょう)」
  • 「穿つ」
  • 「肉(は)牢獄」
  • 「手合い」
  • 「(台詞としての)『びっくり』」
  • 「(機器の)チェックに余念がない」

文脈抜きで取り出して眺めてみれば、一つ一つは日本語としてごく真っ当な表現なので、単に自分の読書歴の偏りに依る自意識過剰なもの*4かとも思い、我慢して読み続けました。

ですが、第四部を読み始めたとき、『ニューロマンサー第二部「買物遠征(ショッピング・エクスペディション)」冒頭や、第三部「真夜中(ミッドナイト)のジュール・ヴェルヌ通り」冒頭の描写との酷似に「なんだ、やっぱりパクリじゃん」と納得してしまいました。表現手法と段落構成が全く同じです。

そう判断したとたん、「ここも同じ」「あそこも同じ」と、引用箇所を探し出すパズルと化してしまい、本来のストーリー*5 はどうでもよいものになってしまい、楽しめなかった*6、というわけです。

2作目の『ハーモニー』も同時期に購入しましたが、まだ読んでいません。


*1:翻訳は黒丸尚。『ニューロマンサー』、『カウント・ゼロ』、『モナリザ・オーバードライブ』の3作となります。

*2:作者インタビューを読む限り、ギブスンの影響が強い事は事実のようです。

*3:『記憶屋ジョニイ』の一節を思い起こしました。

*4:とは言うものの、やはりその人の読書遍歴により、「ネタ元はこれだ!」の内容はそれぞれ異なってくるようです。Amazonの書評やtwitterのつぶやきには様々な指摘がありました。

などなど、皆さん自分の思い入れの強い作品を挙げており、ほとんど「釣り」の入れ食い状態になっているようです。

アニメ・ゲーム系の小ネタも仕込まれているとの事で、サンプリング/カットアップ小説としては相当濃い作品なのでしょう。ですが、それならばダン・シモンズの『ハイペリオン』を楽しめるようになった方が有意義ではないかと思います。

*5:実は、ストーリーもあまり感心しませんでした。近未来の合衆国の軍人が主人公のはずなのですが、全くそのような感じがしない。「新潮文庫の100冊」を読破した20世紀生まれの日本人青年が延々独り言をつぶやいており、ドミノ・ピザのケータリングは府中街道を走っているのです。

*6:冲方丁マルドゥック・スクランブル』を読んだときも同じでした。ギブスンの差分を削除した後は、「少女と鼠がおじさんとトランプをしてる小説」としか感じませんでした。国内SFとはどうも相性が良くないようです。